谷中・いろは茶屋〔やなかいろはぢゃや〕
初出掲載誌 『オール讀物』 昭和四十三年九月号
文春文庫 『鬼平犯科帳(二)』
TV 第三シーズン54話『谷中いろは茶屋』(92年2月5日放送)
脚本:井手雅人
監督:井上昭
〔本のおはなし〕
「もう、これ以上、とてもつづくものではないよ。ああもう、どうしたらいいかなあ・・・・・・」
若いさむらいは、ぽってりとした色白のやわらかい裸体の汗をぬれ手ぬぐいでふきながら、
「ああもう、・・・・・・こ、こうなるとまったく、押しこみ強盗でもやって見たくなる」
物騒なことを泣くような甘え声でいい、手ぬぐいを投げすてるや、
「これが最後だとおもうと、もう何度でも、何度でも、何度でも・・・・・・」
床の上へ横たわり、こちらを見上げている妓(おんな)の細い躰へおおいかぶさっていった
ふくよかな若者とは対照的に、妓のあさぐろい肉体はあくまでも細っそりと引きしまってい、わずかなふくらみを見せている乳房のあたりへ女ざかりの凝脂の照りが、ねっとりと浮いている
「ああもう、これきりだ。ああもう、つづくものではない・・・・・・」
「けれど忠さん。もし、つづいたらどうするえ?」
「つづくはずがない、遊びの金がないのだものな」
「そのお金(たから)がつづいたら?」
梅雨もあがった午後の夏空は、まっ青に晴れあがっていた
ここは〔いろは茶屋〕とよばれる岡場所であって、貞享の時代(ころ)から谷中・天王寺門前にひらかれた遊所だ。はじめから上方の業者が多く、だから万事が上方ふうのおっとりとした雰囲気があり、いまも娼婦たちの多くは上方や近江のあたりの出だということである
ふかい木立と寺々の甍(いらか)に埋もれた土地(ところ)の遊所だけに、
「一度、いろは茶屋へ足をふみこんだら、足がぬける前に腰がぬけてしまう」
だそうな
だが、この若いさむらいは足腰がぬけるまでもなく、遊び金につまりつくしたものらしい
まだ二十四歳の独身(ひとりみ)であるし、これほどまで妓へ打ちこんでいるのだから、ここまで行きづまってくると、彼がいま口走った「こうなれば押しこみ強盗でも・・・・・・」という気持になるのもむりはないところだが、さずがに〔忠さん〕そこまでは落ちきれぬところがある
というのは彼の正体、世の悪漢どもを恐怖させている鬼の平蔵の部下で、火付盗賊改方の同心・木村忠吾であったからだ
この日
お松は、木村忠吾にこういったものである
「あと一月ほどは、忠さん大丈夫。茶屋の勘定(しまつ)は、あたしがするもの」
「でもお前、いったい、その金をどこから?」
忠吾が訊くと、
「どこからでもいいじゃありませんか。まさかに、押しこみをかけたお金じゃありませんもの。ふ、ふふ・・・・・・」
お松は相手にならなかった
実は、
「お前の好きな男のためにおつかい」
こういって金十両を、ぽんと、お松にくれた別の客がいたのである
この不景気な世の中に物好きな客もいたものだが、この客も、実は、木村忠吾と同じころから〔いろは茶屋〕へ姿を見せはじめた五十男で、うわさによれば、なんでも武州・川越の大きな商家の主人だということだ
この旦那、菱屋では〔川越さん〕で通っている
でっぷりとした、いかにも大様な風貌で、あまりにも細い眼の、
「目の玉がどこにあるのだろうねえ」
と、菱屋の妓たちが陰口をきくほど、川越の旦那が笑うと、両眼がしわになってしまう
お松を相手にするときも、五十男にはめずらしい淡白さであった。初めて菱屋へあがった日には酒をのんだだけであっさりと帰った。娼婦というものは男と寝ることが商売なので、つまりそのことに飽きつくしている。だから、こうしたあつかいをされれば否応なく好意を抱いてしまうものだ
「お前の好きな、あの御浪人は、このごろお達者かね?」
川越さんに訊かれたとき、
「でも揚代が、もうつづかなくて・・・・・・」
さびしげに、お松がこたえた
すると、
「そりゃあ気の毒、わしは間もなく川越へ帰らねばならぬ。しばらくは江戸へも来られまい。ま、長々と世話になったお礼というほどのものでもないが・・・・・・この金を好きな男(ひと)のためにつかっておくれ」
すぐさま金十両を出して、お松へよこしたものである
「そうか・・・・・・そりゃどうも、奇特な人がいるものだな」
このことを、お松からきいて木村忠吾は、
「それではまだ、ここへ来られるのだな」
「よかったねえ、忠さん」
「よかった、よかった」
忠吾は、万事にこだわらない。実に得な性分といわねばなるまい
「おれというやつは、わるいやつさ」
脳裏の片隅で、御頭・長谷川平蔵の温顔を意識しつつ、忠吾はお松のしなやかな躰を抱きすくめにかかった
「あれ、痛い・・・・・・いやですったら、そんなに強(きつ)く・・・・・・」
夏の陽ざかりに二階座敷の障子をしめきって、お松も忠吾も汗を浮かせ、ふざけはじめる
ふざけながら、お松が、こんなことをいった
「悪いといえばねえ・・・・・・川越の旦那が、こんなことをいってましたっけ」
「どんな?」
「人間というものはねえ・・・・・・あれ、くすぐったい、いやですよ、そんな忠さん・・・・・・」
「人間というものは?」
「人間という生きものは、悪いことをしながら善いこともするし、人にきらわれることをしながら、いつもいつも人に好かれたいとおもっている・・・・・・」
「なるほどなあ・・・・・・」
このとき木村忠吾はお松からはなれ、下帯ひとつの裸体で床の上へあぐらをかき、妙に、川越の旦那がいったことばに感心をしていたようである
そのころ・・・・・・
〔川越の旦那〕は谷中の寺町が本郷へ下ろうという善光寺坂の中ほどにある数珠屋の店で、主人の乙吉と語り合っていた
「今日は、これから?」
「ふふん、野暮なことを聞くものではねえ」
「天王寺のいろは茶屋で?」
「なに、今日が最後よ」
「そんなに、いい妓なので?」
「ほれ、二十何年も前に、おれが上方で血頭の丹兵衛どんのお盗(つとめ)をたすけていたとき、伏見で熱くなった妓がいたろうによ」
「え・・・・・・あの、お松といいましたねえ」
「そうよ、名前も同じなら、年ごろ二十年前のあいつと同じような・・・・・・なに、女の躰にのぼせているのではねえ。なんだ彼だと親身にあつかってくれるので、ちょいといいこころもちなのさ」
「そいつがお頭の弱えところだ」
「知っていらあな。わきまえているから安心しねえ。こう見えても荒い盗では仲間内にも知られた墓火の秀五郎よ」
川越の旦那・・・・・・いや兇盗・墓火の秀五郎はこういって店の土間へ立ち、ぜいたくなこしらえの煙草入れを帯へ差しこむと、
「手下にいっておいてくれ、今度のお盗にはごってりと血がながれるとな」
油屋を出た秀五郎は、いろは茶屋をさして坂をのぼりきり、八軒町の角を左へ曲るつもりらしい。この八軒町へかかる手前に一乗寺横の細い路が、これも茶屋町へ通じてい、秀五郎がこの細路へさしかかったとき、お松と別れて役宅へ急ぐ木村忠吾が着流しに編笠をかぶった浪人姿で細路から善光寺坂へあらわれた。。。
〔主な登場人物〕
長谷川平蔵(中村吉右衛門)
墓火の秀五郎(長門裕之)
お松(杉田かおる)
木村忠吾(尾美としのり)
佐嶋忠介(高橋悦史)
沢田小平次(真田健一郎)
小房の粂八(蟹江敬三)
乙吉(松山照夫)
お徳(正司花江)
国太郎(野口寛)
いろは茶屋女将(山口朱美)
文治(河本忠夫)
定八(山下悦郎)
伊佐蔵(野々村仁)
吉兵衛(東田達夫)
〔盗賊〕
・墓火の秀五郎:ここ一年ほどの間に二、三度、江戸市中の商家を荒し、そのたびに被害者を皆殺しにしている兇盗。〔川越の旦那〕
・油屋乙吉:墓火の盗人宿・油屋という数珠屋の主人。足が不自由らしく、かなりの跛をひく。土地の者は、「善光寺坂のびっこ数珠屋」などど呼ぶ
・定八:油屋の店番から台所仕事いっさいをやってのける
・天神の文治:墓火一味。奥州・仙台の城下で大仕事の下準備をしていた
・伊佐蔵:墓火一味。文治とともに仙台に潜伏
〔商家〕
・油屋:善光寺坂の中ほどにある数珠屋。墓火の秀五郎の盗人宿
・〔小川屋〕:武州・粕壁の旅籠。墓火の秀五郎の根城
〔料理帳・本〕
温和しい性質だし、芝・神明前の菓子舗〔まつむら〕で売り出している〔うさぎ饅頭〕そっくりだというので、口のわるい与力や同心たちは、忠吾に面と向かってあからさまに、
「兎忠さん」
などと、よぶ
〔料理帳・ドラマ〕
里芋の煮物ほか、墓火の秀五郎とお松、いろは茶屋にて
鯛の刺身ほか、忠吾とお松、いろは茶屋にて
〔ドラマでのアレンジ〕
ドラマでは墓火の秀五郎と忠吾がいろは茶屋で酒を酌み交わす場面があり、お互いを「川越の古狸」、「兎忠」と呼び合います。また、秀五郎の息子が生きていれば、ちょうど忠吾と同じくらいだったという設定が、ラストの斬り合いのシーンを生んでいます。原作では、二人は語り合うことはなく、ラストのシーンもありません。
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