熊五郎の顔〔くまごろうのかお〕
初出掲載誌 『推理ストリー』 昭和三十七年二月号
角川文庫 『にっぽん怪盗伝』
TV 第三シーズン52話『熊五郎の顔』(92年1月22日放送)
脚本:田坂啓
監督:高瀬昌弘
〔本のおはなし〕
その男が、お延の茶店へあらわれたのは五日前のことだ
その日は明け方から強い雨がふり出し、終日やむことがなかった
(お客も、もう来やしない。店をしめてしまおうかしら・・・・・・?)
暗い雨空に時刻もよくわからなかったが、そろそろ夕方にもなるだろうと思い、お延が店の戸をしめようとしたときであった
深谷の方向から来たらしい旅人が、よろよろと店先へ入って来たのである
男は、もどかしそうに背中の荷物を取り出し、笠と雨合羽をぬぎ捨てると、そのまま、苦しげに小肥りの躰を土間の縁台の上に折って、低くうめいた
「すみませんが、白湯をひとつ・・・・・・」
湯を持って行くと、男は、それでも人なつこそうな微笑をうかべて頭を下げたが、すぐにふところから丸薬を取り出した
薬をのみ、縁台に横たわっているうちに、男の蒼い顔はべっとりと脂汗に濡れ、うめきと喘ぎが只ならない様子になってきた
「これじゃあしようがありませんねえ。ま、奥へお上がりなさい。私、お医者を・・・・・・」
お延の気質としては捨てておけなかった
旅の男を奥の部屋に寝かせ、戸締りをしてから、お延は新堀の宿へ走って、医者を呼んで来た
「まあ、大したことにはならぬと思うが、今日は動かせないよ。ここへ泊めてやったらどうだな?というても、女ひとりの住居だから、それも、どうかな・・・・・・」
「いえ、そうなれば、私は市ノ坪の実家へ泊りに行きますから」
医者が帰った後も、男は苦しそうであった
雨は強くなるばかりである
市ノ坪へ行くつもりでいたお延も、日が暮れてはくるし、雨もひどいしで、もう面倒になり、
(こんな病人といたところで、別に・・・・・・)
この近辺でも、かたいのが評判でとおっている寡婦のお延であった
夜になった
お延も腰を落ちつけることにきめ、男の看病をしてやることにした
発熱に喘ぎながら、とぎれとぎれに男が語るところによると・・・・・・
男は信太郎という名で、旅商人だという。もともと上方育ちで、古着を商っているのだが、京・大阪からの新品も扱い、これを北国や信濃にある得意の客にとどけることもする。旅商人としては上等の部類に入るといってよい
まもなく、男はぐっすりと眠った
お延が、男の左の耳朶のほくろに気づいたのはこのときであった
(まあ、あんなに大きなほくろが・・・・・・)
翌朝になると、信太郎は元気を取りもどした
そうはいっても、まだ熱もいくらかあるし、食欲もない様子なので、お延は、もう一日、信太郎を泊めてやることにした
雨はあがり、空は鏡のように青く、あたたかい陽射しが街道にみちていた
奥に寝ている信太郎を古ぼけた枕屏風で囲い、店先との境の障子をしめきっておいて、その日も一日中、お延は、旅人や駕籠かきや、馬子などの客を相手に、茶を、うどんを、酒を、だんごを売って、いそがしく働いた
日が暮れかかった
お延は戸じまりをし、粥をたいて信太郎の枕元へ運んだ
「申しわけありません。とんだ御厄介を・・・・・・」
「いいんですよ、そんな・・・・・・さ、起きてごらんなさい」
だきおこしてやったとき、信太郎が、急に、うるんだ声で、ほとばしるようにいった
「おかみさん!!私はいま、死んだおふくろのことを考えていましたよ」
「まあ・・・・・・」
汗くさい信太郎の体臭を、頬にあたる呼吸を、お延はこのとき強く意識した
四年も、堅く立て通してきた後家暮しであった
「じゃあ、これで・・・・・・ゆっくりとおやすみなさい」
離れようとしたお延の手を、信太郎がつかんだ
「な、なにを・・・・・・」
「おかみさん!好きだ!!」
病みあがりとは思えない強い力であった
お延はだき倒され、男の唇が、首すじから喉のあたりへ押しつけられるたびに、躰中がしびれたようになった
「いけない。いけませんよ、そんな・・・・・・」
「好きなんだ、おかみさん。好きなんだ!!」
いやな男だったらはね退けるだけの気力は十分にもっていたお延だが、相手が明日にも旅立っていく男だという考えが、一瞬の間にお延をおぼれさせた
(だ、誰にもわかりゃしないんだもの・・・・・・私だって永い間ひとりきりで・・・・・・私だってつらかったんだもの)
急に、お延の四肢が火のついたようになった
お延は喘ぎながら、信太郎の首へもろ腕を巻きつけていった
「・・・・・・そういうわけでな。向井様のおいいつけで、おれが出張って来たというわけなのだ。山猫三次というやつは、雲霧一味のうちでも意気地のないやつらしい。越後でお縄になったとき、親分の雲霧はじめ仲間の者の人相なども、いくらか白状をしたということだ。これで江戸へ連れて行き、思いきり責めつければ、きっと一味の所在をも吐きだすに違いない」
江戸から十六里余りの道を、武州熊谷と深谷の間にある新堀の宿までやって来た山田藤兵衛が、お延の茶店へ立ちよって、そういった
「山田さま、そうなれば、州走の熊五郎も・・・・・・」
背も低いし、かぼそく見えるお延の躰が興奮にふるえている
茶店の外に控えている同心・手先たちにも、茶をくばりながら、お延は、ふっと、その人数の中に、死んだ夫の政蔵がまじっているような気がした
かつては政蔵も、山田藤兵衛の下について目明しをつとめていたのである
四年前の夏、政蔵は州走熊五郎の潜伏場所を突きとめ、七人の捕手と深川・亀久町の船宿へ踏みこんだ
だが、けだもののように暴れ狂う熊五郎の脇差(どす)に腹を刺され、政蔵は死んだ。しかも、捕手が迫る気配を知った熊五郎は、すばやく用意の頭巾をかぶって顔をかくすという心憎いしかたで、見事に包囲網を斬り抜け、逃走した
ひと足違いで駆けつけて来た山田藤兵衛は、足を踏みならして口惜しがったものだ
山田藤兵衛は茶代のほかに、紙包みの金をおいて立ちあがった
外へ行きかけ、山田藤兵衛はちょっと考えてからお延のそばへもどって来た
「お前も、もとは御役の者の女房だった女だ。しかも、いまは宿はずれの茶店のあるじ。道行くものに注意しておってくれい」
「は、はい」
「ここに、山猫三次が洩らした言葉によって書きとめた州走の人相書がある。念のために渡しておくから、よく読んでおいてくれい。宿場の町役人にも渡してあるが・・・・・・」
部下を従え、深谷の方向へ速足で去る山田藤兵衛を見送ったお延は、そそくさと店の中へ駆けもどり、亡夫を殺した憎いやつの人相書を読んだ
読むうちに、お延の顔色がみるみる変わってきた
無宿州走熊五郎
一、丈五尺三寸ほど
一、歳三十歳ほどに見ゆ
一、小肥りにて色白く歯並び尋常にて眼の中細く
一、尚、左耳朶に一か所、左胸乳首の上に一か所、小豆大のほくろ罷在候
その一つ一つが、みんな覚えのあるものであった
ことに、最後の一条がお延に強烈な衝撃をあたえた
(あのひとの左の耳たぶにも、たしかほくろが・・・・・・)
自分をだいた男の腕が、亡夫の政蔵を刺した同じ腕だとしたら。。。。。。
〔主な登場人物〕
長谷川平蔵(中村吉右衛門)
お延(音無美紀子)
信太郎/洲走の熊五郎(高橋長英)
和泉屋治右衛門(高城淳一)
小房の粂八(蟹江敬三)
由松(岡田一恭)
〔盗賊〕
・雲霧仁左衛門:江戸市中ばかりか関東一帯を荒らしまわってきた大泥棒
・山猫三次:雲霧仁左衛門の乾分のなかでも四天王とかよばれた。享保十六年晩秋、潜伏中の越後で捕らえられた
・州走の熊五郎:同じく四天王のひとり。山猫三次と一緒にいたが、捕手の包囲を斬り破って逃げた
・木鼠吉五郎:雲霧一味。一昨年の春に捕らえられたが、江戸へ護送する途中で、六人の仲間をひきいた州走熊五郎に奪い返された
・因果小僧六之助:雲霧一味の四天王のひとり。目明しの政蔵が捕らえた
〔商家〕
・〔ささや〕:お延の茶店
・〔和泉屋治右衛門〕方:深谷宿の旅籠。主人の治右衛門は町年寄も兼ねている。お延の亡くなった母親が、永く和泉屋に奉公しており、現在はお延の下の弟が働いている
〔料理帳・本〕
道中の人も絶えたようであった。昼すぎになるまでに、急ぎの旅人を送った帰りの駕籠かきが二組ほど店へ入って来、酒とうどんで躰をあたためて行っただけである
〔料理帳・ドラマ〕
粥、お延と信太郎、お延の自宅にて
田螺のぬた、平蔵と粂八、沢田、深谷の旅籠にて
このな、田螺がなかなかいける。んっ、んっ、うめえ、うめえ。なんでぃ、粂八も沢田も喰わねえのか?喰わなかったら、こっちへよこせ。いいから、こっちへよこせ。あー、ん、確かにな、こいつはちっと泥臭い。だから、この味噌味をきかせたぬたに限る。へっへっへっへっ、んー、うまいなこりゃ。
〔ドラマでのアレンジ〕
原作は短篇集『にっぽん怪盗伝』に収録された同名小説で、平蔵は登場しない。そもそも雲霧仁左衛門と平蔵とは時代が違う。
和泉屋治右衛門は原作では何かとお延母子を気にかけてくれるいい人だが、ドラマでは財力と地位にものをいわせて、お延を囲い者にしようとするいやらしい爺を高城淳一が好演している