いろおとこ〔いろおとこ〕
初出掲載誌 『オール讀物』 昭和四十九年六月号
文春文庫 『鬼平犯科帳(十二)』
TV 第三シーズン53話『いろおとこ』(92年1月29日放送)
脚本:笠原和夫
監督:加島幹也
〔本のおはなし〕
その日の夕暮れに、盗賊改方同心・寺田金三郎は、本所二ツ目の軍鶏鍋屋〔五鉄〕で酒をのんだいた
雪催(もよ)いの、底冷えの強(きつ)い日だっただけに、五鉄の入れ込みの座敷には、早くから客がつめかけてい、軍鶏を煮る鉄製の熱気がたちこめ、汗ばむほどにあたたかい
「おや・・・・・・あれは、寺田さんじゃねえか。いつの間に来ていなすったのだ?」
と、五鉄の亭主・三次郎が、板場の格子の内から、入れ込みの片隅で黙念と盃をなめている寺田金三郎を見つけて、女房に尋いた
「あれ、ほんとだよ、寺田さんの旦那だ」
三次郎は、包丁を置いて、二階の小部屋へあがって行き、寒いので日中から泥行火を抱いてばかりいる老密偵・相模の彦十へ、
「下に寺田の旦那が来ていなさるよ」
と、声をかけた
彦十は掻巻(かいまき)にくるまったまま、
「妙だぜ、そいつは・・・・・・寺田の旦那、今日は非番のはずだよ」
彦十は、寺田同心と組んで、これまで何度が探索(さぐり)をしたことがあるので、寺田金三郎の日常はよく知っていた
「あの人の兄(あに)さんが、寺田又太郎といってね。去年の・・・・・・そうさ、ちょうど今頃だ。鹿熊の音蔵という盗人を見つけ、後をつけたとおもいねえ」
「ふむ、ふむ・・・・・・」
「ところが、鹿熊の音蔵のほうが一枚上手でな。寺田又太郎さんは、中目黒の竹藪までつけて行って、そこで音蔵に殺されなすった・・・・・・」
そのとき、瀕死の重傷を負って竹藪に倒れていた寺田又太郎を発見したのは。土地(ところ)の百姓であったという
又太郎は背中、胸、腹に五ヵ処の傷を負っていた。これはどう見ても一人の犯行ではない
又太郎の変死によって、弟の金三郎が寺田家をつぎ、ひいては兄同様の役目についたわけである
彦十は、板場へ下りて行き、格子の間から入れ込みの一隅にいる寺田金三郎を見た
当年二十五歳。亡兄・又太郎より五歳下の独身(ひとりみ)だが、麻布飯倉片町にある念流・笹原喜十郎の道場へ十歳のときから通いつめ、すでに免許をゆるされていた
背丈は尋常だが、いかにも剣士らしく引きしまった体躯のもちぬしで、眉のあがった精悍な風貌をしている。その躰つきや、浅ぐろい顔だちなどが、亡兄に、
「似ているともなく似ている・・・・・・」
のである
さて・・・・・・
あまり好きだとはおもえぬ酒をのみながら、黙念と時間(とき)をすごしている寺田金三郎を見た相模の彦十は、三次郎同様に、
(こいつは、いつもの旦那じゃねえ)
と、おもった
金三郎が立ちあがったのは、このときである
小女に勘定をはらい、外へ出て行った
「ちょいと、出て来る」
そこにあった三次郎の半纏をつかんだ彦十は、三次郎にこういって、裏口から出て行った
金三郎は竪川辺りの道を、どこまでも東へすすむ。いつもの市中巡回の着ながし姿で、外へ出ると、金三郎は懐中から頭巾を出してかぶった
三ッ目橋のたもとをすぎ、橋川との合流地点に懸かっている北辻橋をわたり、四ッ目橋の北詰をすぎると、深川北松代町の代地の一角に、
〔居酒屋・山市〕
と、軒行灯を掛けた小さな居酒屋がある
寺田金三郎は、そこへ入って行った
この夜、山市は店を開けていなかった。軒行灯の灯りも消えていたのである
金三郎が外から戸障子を叩くと、戸が開き、六十がらみの老爺が顔を出し、金三郎を中へ引き入れた
(いってえ、何だろう?)
金三郎の後をつけて来た彦十の不審は、さらに、ふくれあがった
寺田金三郎が入って行って間もなく、山市の二階に灯りが入ったらしく、閉めきった雨戸の隙間から、それが洩れてきた
非番の日に、こんな外れの、しかも店を閉めている居酒屋へ寺田金三郎が入って行ったことは、たしかに解せぬことだが、相模の彦十は自分のしていることに馬鹿らしくもなった
苦笑して、立ちあがりかけたとき、黒い影が一つ、山市の戸口へ近寄って行くのを彦十は見た
ぶら提灯を提げているその町人ふうの男は、戸を叩かず、低い声が二言三言、何かいっているようだ
すると、戸が開いて、先刻(さっき)の老爺が白髪頭を突き出し、何かささやいた
男はうなずき、道を西の方へ引き返して行く
そのあと、老爺は戸口から外の気配を凝っとうかがっているようだ
老爺が戸を閉めるのを待ちかねたように、相模の彦十は道へ出て行った
前方に、怪しい男の提灯が行く。急ぎ足だが、夜道のことゆえ走っているわけでもなかった
提灯は北辻橋をわたり、三ッ目をすぎ、緑町四丁目の〔湊屋〕という鰻屋へ入った
すぐに彦十は、湊屋へ入って行った
顔なじみだし、彦十は勘定をためたこともない。板場で鰻を焼いている肥った亭主に酒をもらい、茶わんで二杯ほどのむうち、二階から先刻の男が下りて来た。顔は見ていないが、姿かたちを彦十は、はっきりと見おぼえている
男には連れがいた。連れは、二階座敷で男が来るのを待っていたらしい
頭巾をかぶっていて、羽織・袴のきっちりとした身なりをしている侍である。大小も立派なものを腰に帯していた
彦十は、裏口から飛び出して行った
そして裏道を居酒屋・山市目ざして小走りに走り出した。このあたりには、もう四十年も住んでいるだけに、五十をこえた相模の彦十だが、することなすことが、
「壺にはまってくる・・・・・・」
のである
三ッ目通りをこえたところで、横道から提灯を提げて出て来た侍が、
「おい、これ彦十、血相を変えて何処へ行く?」
声をかけてよこした
「あっ、銕つぁん・・・・・・」
この日の午後、長谷川平蔵は、入江町に屋敷を構える五百石の旗本・石川堂之助の父で、いまは隠居し、鶴斎と名乗っている人物の病気見舞いをしての帰り途だったのである
「長谷川さまよ」
と、彦十は平蔵の袖をつかみ、
「いま、はなしている暇はねえ。いっしょに駆けておくんなせえよ」
事情(わけ)はわからぬながらも、なんとなく長谷川平蔵、おもしろくなってきたようだ
実に、それは、ろくに彦十が語る間もなかった。駆けながら手短かにはなしはしたが、山市の前の材木置場へ隠れるか隠れぬかのうちに、怪しい男が急ぎ足でやって来た。いつの間にか件の侍と別れている
(おや・・・・・・?)
おもううちに、男は、またしても戸口へ身を寄せて何か合図をし、すると戸が開いて先刻の老爺が何かいい、戸を閉めた
男は、山市の前で、西の方へ向って、二度三度と提灯を振って見せてから、提灯のあかりを吹き消し、山市の横の路地へ身を潜めた
いよいよもって、面妖なことではある
「あの二階に、寺田金三郎がいるらしいというのか?」
と、平蔵
「いまの提灯の合図は・・・・・・?」
ささやきかわす間もなく、山市の戸障子が開き、人が出て来た
同心・寺田金三郎であった
金三郎は、見送りに出た老爺に何かいってから、うつ向きかげんに、腕を組んで西の方へ歩み出した。足どりが重い
見送っている老爺の傍らへ、路地に潜んでいた男があらわれ、何かいった
二人は山市の中へ入り、戸を閉めた
長谷川平蔵は彦十をうながし、道へ走り出た
山市の戸口へ身を寄せ、中の気配をうかがうと、間もなく、なんともいえぬ物音がきこえた
低くて、鈍い物音なのだが、異常であった
ついで、女のうめくような声が耳に入り、すぐに途絶えた
平蔵が、彦十へ、
「中へ飛び込め。手にあまったら、大声で人殺しとわめけ、叫べ」
いいざま、体当たりに山市の戸を打ち破っておいて、
「それ、行け」
彦十へ声をかけるや、身を返して、まっしぐらに。寺田金三郎の後を追った
走って行くうちに長谷川平蔵は、背後で、
「人殺し!」
と叫ぶ彦十の声をきいた
と・・・・・・
前方に刃と刃が噛み合う音も聞いた。。。。
〔主な登場人物〕
長谷川平蔵(中村吉右衛門)
寺田又太郎/源三郎(鷲尾功)
おせつ(山下智子)
おまさ(梶芽衣子)
木村忠吾(尾美としのり)
久栄(多岐川裕美)
市兵衛(中井啓輔)
お篠(山本郁子)
鹿熊の音蔵(浜田晃)
矢島孫九郎(堀田真三)
松倉の清吉(伊藤高志)
小吉(南宗一郎)
〔盗賊〕
・鹿熊の音蔵:鹿熊の音蔵について、舟形の宗平老人は、平蔵に、「うわさには何度も聞いております。血を見なくてはおさまらない急ぎばたらきをする・・・・・・いえ、それも大がかりな押し込みばかりで、めったやたらにはいたしませんので、さようでございます、なればこそ足取りがつかめませぬし、流れ盗めの盗人は決して使いませんので、うわさを耳にしても、いったい、どんな奴なのか、さっぱりわからなかったので・・・・・・はい、そのとおり。それはもう、私が盗めばたらきをしていたころのはなしでございますから、大分に前のことで・・・・・・」と、いった
・舟見の長兵衛:三年前におせつが引き込みの連絡をしていたお頭
・堀切の彦六:寺田又太郎附きの密偵。もとは盗賊で、五十がらみの無口な男。盗賊だった頃、神子沢一味の盗めを二度ほど手つだったことがある
・神子沢の留五郎:小娘だったおせつが引き込みをしていた盗賊
・宅十:舟見一味の盗賊。おせつの夫、すでに病死している
・市兵衛:山市の亭主。おせつの父親の兄にあたる。父親も、この伯父も盗賊であった
〔商家〕
・〔湊屋〕:緑町四丁目の鰻屋。小体な店だが、土地ではちょいと知られていて、彦十も、長谷川平蔵から「おい、彦よ。たまには精をつけて来いよ」と余分の小遣いをもらったときなど、よく食べに来る。二階に小座敷が三つ。下の土間に、せまい腰掛けで、酒食が出来るようになっている
・〔さなだや〕:本所の枕橋の北詰にある蕎麦屋。老夫婦がやっている店で、西は大川。東は道をへだてて水戸家の下屋敷というしずかな場所にあり、二階に小座敷が一つある。おせつと金三郎が其処へあがった
・中村屋多兵衛方:茅場町薬師前の薬種問屋。おせつが、ここへの押し込みの連絡をつけているところを、通りかかった彦六がみかける
・栄左衛門方:東海道品川宿二丁目の質屋。江戸における鹿熊の音蔵の本拠
〔料理帳・本〕
食べるものは二日分ほどを、彦十が五鉄へ受け取りに行く。そこはさすがに三次郎がこころをこめたものだけに、大きな重箱三つへ、ぎっしりとつまった握り飯や煮物なども、ただものではない。握り飯にしても、味噌をぬって軽く焙り、胡麻をふりかけたり、刻み沢庵を胡麻醤油にまぶしたものを飯の中へ入れたり、焼海苔をたっぷりと巻いたりしてあるものだから、
「この次は、どんな弁当かな?」
酒井たちも、張りをうしなわずに粘れたのであろう
〔料理帳・ドラマ〕
軍鶏の臓物鍋、平蔵、彦十とおまさ、五鉄にて
〔ドラマでのアレンジ〕
原作では寺田金三郎だが、ドラマでは何故か源三郎になっている。また、原作では相模の彦十ひとりの行動が、ドラマでは彦十とおまさの二人になっている。