夜鷹殺し〔よたかごろし〕
初出掲載誌 『オール讀物』 昭和四十五年六月号
文春文庫 『鬼平犯科帳(四)』
TV 第三シーズン58話『夜鷹殺し』(92年3月4日放送)
脚本:下飯坂菊馬
監督:高瀬昌弘
〔本のおはなし〕
はじめての犠牲者が出たのは、この年(寛政元年)の六月ごろであったという
被害者は、名をおもん。俗に〔夜鷹〕といわれている売女である
夜鷹のおもんは三十をこえた大年増で、客をとった後でのむ冷酒が、
「なによりもたのしみで、生きているのさ」
という、いたって人のよい女で、なじみの客もすくなくなかったようだ
おもんは、外神田・昌平橋の北詰にある〔加賀っ原〕で殺されていた
するどい刃物で陰部をえぐりとられ、乳房がめった切りに切り割られてい、さらに喉笛を掻き切られていたのである
この〔おもん殺し〕は、町奉行所のあつかいになったし、〔火盗改方〕は例によって頻発する事件に追われていたものだから、長谷川平蔵も、ふかくこころにとめてはいなかった
ところが、翌七月に入って間もなく、これも二人の夜鷹が、同じような手口で殺された。一人は浅草・三味線堀に死体が浮きあがり、一人は、そこから程近い善立寺の境内で死んでいた。同じ夜の犯行と見てよい
そのとき、平蔵は、
「むごいことを・・・・・・」
眉をひそめたが、犯人は同一の者で、しかも異常性格者にちがいない、と見きわめをつけていたようである
ところが・・・・・・
町奉行所では、この事件をおもく取りあつかう気配がなかった
いちおうは探索もしたのであろうが、なんと、
「夜鷹殺しなら、こちらの手間がはぶけてよい」
などという声も、きこえはじめた
さて・・・・・・
九月三日の夜になって、しばらくは絶えていた夜鷹殺しが、また起った
今度は、入谷田圃に近い浄蓮寺裏の庚申堂の中へ、夜鷹・おつねの死体が投げこまれていたのである
翌朝、そこを通りかかった百姓が血のにおいに気づき、死体を発見したが、その殺しざまのすさまじさに、くだんの百姓、腰をぬかしてしまったとか
例によって陰部が切りえぐられているばかりでなく、おつねの両耳、鼻、両手のゆびがすべて切断され、これら血まみれの肉片が、おつねの裸体の上へ、これ見よがしに撒き散らされていた、というのである
また町奉行所は、通りいっぺんの調べをおこなったままで、その後はまったく犯人捜査の熱意をしめさず、
〔迷宮入り〕
にしてしまった
平蔵が、たまりかねたのは、実にこのときであった
「夜鷹とても、人ではないか!!」
と、めずらしく平蔵が顔面を紅潮させて怒り出したのには、与力・同心たちも、いささかおどろいたようである
落ちるところまで落ちつくした夜鷹たちは、一椀の冷酒や飯、一夜のねむりにさえも、いじらしいばかりの〔生きるよろこび〕を感じ、それをたよりに絶望と闘いつつ日を送っているのだ、と、長谷川平蔵はおもっている
「これは、おれ一人ですることだ」
こういって、平蔵が単身、この〔夜鷹殺し〕の糾明に乗り出したのは、九月十一日のことであった
むろん、町奉行所(まちかた)へも内密にである
その日の夕暮れに・・・・・・
長谷川平蔵は、本所・二ツ目橋にある軍鶏なべ屋〔五鉄〕へ、密偵・相模無宿の彦十を、ひそかによびつけた
〔五鉄〕の小座敷に待っていた彦十へ、熱い酒をあたえつつ、
「夜鷹殺しのうわさ。爺つぁんも知っていような?」
「知るも知らねえも・・・・・」
と、彦十が盃をたたきつけるように置いて、
「近ごろ、こんなに腹が立つこたあ、ごぜえやせんよ。ねえ、旦那。夜鷹も将軍さまも・・・・・・」
白髪まじりのあたまを振りたてていいかけるのへ、平蔵すかさず、
「同じ人間だからな」
「さすがに銕つぁんの旦那だ。ねえ、夜鷹を殺した野郎には御詮議がねえのですかい。そんなべらぼうがあってたまるかい」
「だからよ、爺つぁん・・・・・・」
と平蔵。にやりと笑って、
「おれとお前とで、かたをつけてやろうじゃあねえか」
「てへっ・・・・・・ほ、ほんとうなので?」
「むかしにもどってなあ」
彦十は、感激の極に達したようである
平蔵もまた、こやつと酒をのんでいると、年甲斐もなく、若いころの自分になってしまい、ことばづかいまでむかしにもどってしまうのが、われながらふしぎであった
「この間、入谷の庚申堂で殺されていた、おつねという女は、わっしもよく知っていたので・・・・・・」
「なに・・・・・・では、本所(ところ)のものかえ?」
「四ツ目の裏町に住んでいるのでごぜえますよ。長患いで腰もたたねえ亭主と、子供をひとり抱えてねえ」
「で、その亭主と子供は?」
「昨日の朝、死んでおりやした」
「なんだと・・・・・・」
「小さな子供の首をしめて、最後に亭主野郎、てめえのくびをくくりましたよ。夜鷹の女房に先立たれて、行先まっ暗になったのでごぜえましょう。いやはや、ひでえもので・・・・・・」
小窓の外に、音もなく雨がふり出していた。軍鶏なべが、煮つまっている
酒も冷えた
だが、二人とも長い間、凝と、うごかなかった
「彦や」
「へい?」
「お前、どんな手段(て)が、いちばんいいとおもうえ?」
彦十が言下に、
「たった一つしかごぜえやせんよ、銕つぁんの旦那」
「む。囮か」
うなずく彦十へ、平蔵がいった
「おれも、その手しかねえとおもっていた」
「だがねえ、旦那。この囮は、いのちがけでごぜえやすよ。あの手口から見て、なまなかな野郎じゃねえ」
「うむ」
「囮のなりてが、ごぜえますか?」
「ないことも、ない。だが、おれも迷っている・・・・・・」
「だれに目をつけていなさるので・・・・・・」
「おまさ、さ」
「あ・・・・・・こ、こいつは・・・・・・む、旦那。なるほど。こりゃあ、まあちゃんをおいてほかにはいねえ」
密偵・おまさが、平蔵のたのみをことわるわけがない
七日後の夜から、夜鷹に変装したおまさが囮となって町へ出た
〔主な登場人物〕
長谷川平蔵(中村吉右衛門)
川田長兵衛(中野誠也)
おつね(野平ゆき)
相模の彦十(江戸家猫八)
おまさ(梶芽衣子)
留吉(高峰圭二)
福井昌貞(山村弘三)
伊助(川上哲)
〔商家〕
・〔国分屋佐吉〕:下谷・長者町一丁目の角地にある煙草屋。川田屋敷を見張るために、平蔵がひそかに身分をあかし、二階東端の小部屋を借りうけ、密偵たちを張りこませた
〔料理帳・ドラマ〕
梅茶、平蔵、寝床にて
平蔵「あっ、梅茶か、二日酔いにはこれが何より。う~ん、あ~、うまい」
久栄「小田原より届いた梅干しでございます」
平蔵「そうか、そうか、うん」
軍鶏なべ、平蔵、彦十、おまさ、五鉄にて
〔ドラマでのアレンジ〕
夜鷹に化けたおまさを、木村忠吾が買おうとするのはドラマならでは。原作では平蔵自ら夜鷹殺しの犯人探しに乗り出すが、ドラマでは彦十から頼まれてという設定になっている。
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