居座り盗(つと)めというのは、たとえば料理屋の客となって酒飯をし、勘定をすませたのちに、小用にでも立つふりをして、屋内の一角に隠れてしまい、夜がふけてからあらわれ、外の仲間を引き入れるとか、または単独で盗みをする
こうしたときに、履物が残っていては怪しまれるので、そこは、いろいろと技巧を要するわけだが、たとえば、いったん履物をはいてから、
「お庭が結構だ。ひとまわりさせて下さいよ」
などといって、外から屋内へまわり込み、隠れてしまう
そうしたことは、居座りを得意とする盗賊にとって、
「わけもない・・・・・・」
ことなのである
馴馬の三蔵〔なれうまのさんぞう〕
初出掲載誌 『オール讀物』 昭和五十三年七月号
文春文庫 『鬼平犯科帳(十八)』
TV 第三シーズン50話『馴馬の三蔵』(91年12月11日放送)
脚本:池田太郎
監督:高瀬昌弘
〔本のおはなし〕
細い廊下を通りかかった小房の粂八の、酔いに火照った顔へ、初夏(はつなつ)の風が小窓から吹きながれてきた
(ああ・・・・・・いい陽気になったなあ)
何気なしに足をとめた粂八は、窓の外へ目をやった
そこは裏庭で、目の前の楠(くすのき)の若葉が午後の日ざしに光っている
大川(隅田川)の方で、船頭の唄う舟歌が聞こえていた
ここは、浅草の橋場の外れにある料理屋で〔万亀〕といい、二年ほど前に開業をした新しい店だが、大店(おおだな)の主人(あるじ)や、大身の旗本なども微行であらわれる。大川をのぞむ庭も、座敷の造りもなかなかに凝ったもので、料理もめずらしいものを食べさせるし、酒もよい
火付盗賊改方の密偵の中でも古参の粂八だが、表向きは深川・石島町の船宿〔鶴や〕の亭主におさまっている
近ごろの〔鶴や〕の評判はなかなかのもので、常客も少なくない
今日は、常客の一人で、同じ深川の猿江町にある足袋股引問屋の主人・小西屋久兵衛が、同業の伊勢屋太七と鶴やにあらわれ、
「さ、今日はひとつ、親方に舟をおまかせしますよ」
と、注文を出したので、粂八が猪牙舟(ちょきぶね)を漕ぎ、大川をさかのぼって〔万亀〕へ舟を着けたのである
ところで・・・・・・
小房の粂八は、このとき、小西屋と伊勢屋が酒を酌みかわしている二階座敷から小廊下づたいに厠で用を足し、もどって来たところであった
(ああ、いい風だ)
小窓から顔を出し、目を細めた粂八が何気なく視線を転じて、
(あっ・・・・・・)
あわてて、顔を引き込めた
裏手の左側に、万亀の物置小屋があって、その戸を引き開け、すっと中へ入った男の顔を、粂八は一瞬のうちに見て取った
男といっても、白いものが髪にまじった六十に近い老人なのだ
(馴馬の三蔵さんだ・・・・・・)
小窓に身を寄せ、粂八は、ぴったりと閉ざされた物置小屋の戸を見まもった
一度に酔いが醒めた粂八は、やや青ざめている
粂八の総身に、冷汗が滲んできた
馴馬の三蔵は、盗賊だったころの粂八にとって、
(忘れようとしても、忘れきれぬ・・・・・・)
盗賊なのである
一人ばたらきの三蔵は、合せて三度ほど、粂八の〔お頭〕だった野槌の弥平の盗めを手つだったことがあり、その折に、まだ若かった粂八の面倒をいろいろとみてくれたのだ
野槌の一味とは最後の盗めを終えたとき、馴馬の三蔵は、密かに粂八をよんで、
「粂八どん、お前さんも私のような一人ばたらきにならないか、どうだね?」
誘ってくれたことがあった
それまでに粂八は、馴馬の三蔵に、
「とんでもねえ迷惑を・・・・・・」
かけていたのである
粂八は、盗めと盗めの間の息ぬきに、江戸へ出て来て遊び暮すうち、芝・高輪の海手にあった〔川宗〕という小体な料理屋の女あるじで、お紋という女と知り合い、それこそ、
「無我夢中の仲に・・・・・・」
なってしまったことがある
ところが、この女には、品川宿にいる香具師の元締で鮫洲の市兵衛という恐ろしい顔役がついており、結局、粂八はお紋をつれて江戸から逃げた
そうするうちにも、野槌一味の盗めの期日がせまってきたので、やむなく粂八は、お紋を、
(そうだ、馴馬の三蔵さんにあずかってもらおう)
と、おもいついた
駿河(静岡)の岡部の宿場で、三蔵の女房おみのが小間物屋をしていたのである
この秘密の〔世帯〕を、三蔵は粂八にだけ洩らしてくれた
そこへ、粂八はお紋をつれて行き、匿ってもらうことにした
三蔵は、別の盗めに出た後だったが、おみのは、たのもしく引き受けてくれた
それから七日ほど後の夜ふけに、おみのの小間物屋が襲われ、おみのとお紋が惨殺死体となって発見されたという。おそらく、鮫洲の市兵衛の仕わざだったにちがいない
高崎での盗めを終え、岡部へ駆けつけた小房の粂八が、このことを宿場の人びとから聞いて知ったとき、お紋が殺されたことよりも、おみのが巻き添えになって殺害されたことのほうが、正直にいって辛かった
それから一年後に・・・・・・
三蔵が野槌一味の盗めに加わったとき、顔を合わせた粂八は、
「三蔵さん。何とも申しわけがねえ。とんでもねえことを、おれはしてしまった・・・・・・」
血を吐くようにいったとき、三蔵は、
「なあんだ。おみのといっしょに殺された女というのは、お前がつれてきたのか・・・・・・」
そういったきり、いささかも粂八を咎めようとはせず、また恨みがましい言葉を口に出さなかった
「ま、仕方もねえことだ。それじゃ別れるぜ。これから先、二度と会えるかどうか・・・・・・それにもう一つ、死んだ女のことは、きっぱり忘れるがいいぜ」
これが、別れとなった
それから十何年もたったいま、浅草・橋場の料理屋〔万亀〕の物置小屋へ消えた馴馬の三蔵を見たとき、
(あ・・・・・・三蔵どんは、居座り盗めをやりなさるつもりだな)
と、粂八は見て取った
それから間もなく、小房の粂八は、小西屋久兵衛と伊勢屋太七を舟に乗せ、引きあげることになった
「親方。すこし、顔が青いよ。気分でも悪いのかえ?」
「いえ、そんなことはございませんよ。旦那の気の所為でございましょう」
さりげなく笑った粂八は、
「先へ出ております」
この料理屋の舟着きへ出て行った
このとき粂八の肝(はら)は、もう決まっていた
いかに盗賊改方の密偵をつとめてはいても、
(馴馬の三蔵さんを、売るわけにはいけねえ)
密偵には密偵の義理がある。何が何でもお上のためにはたらくとはかぎっていない
(長谷川様、今度だけは、見逃してやって下さいまし)
粂八は、胸の底で手を合わせた
いましも、大川(隅田川)から猪牙舟が一つ、万亀の舟着きへ着いたところであった
これも、何処かの船宿から送られて来たらしい客が二人、舟着きへあがって来た
二人とも、立派な武家である
その一人の顔が、粂八へ笑いかけた
(あっ・・・・・・)
小房の粂八は、胃の腑へ焼き鏝(ごて)を突っ込まれたようなおもいがした
その武家は、ほかならぬ盗賊改方の長官・長谷川平蔵宣以(のぶため)であった。。。
〔主な登場人物〕
長谷川平蔵(中村吉右衛門)
馴馬の三蔵(金内喜久夫)
お紋(伊藤美由紀)
瀬田の万右衛門(高野真二)
鮫洲の市兵衛(西園寺章雄)
小房の粂八(蟹江敬三)
沢田小平次(真田健一郎)
〔盗賊〕
・瀬田の万右衛門:上方から近江・美濃へかけて大きな盗みばたらきをする盗賊の首領で、盗みの世界では、「それと知られた・・・・・・」男
〔商家〕
・三好屋:海辺大工町の船宿。
〔料理帳・ドラマ〕
けんちぇん汁、猫どのと忠吾、万亀で
仲居「けんちぇん汁でございます」
忠吾「けんちぇん汁?けんちん汁ではないのか?」
猫どの「いや、けんちぇん汁なのだ。それが正しい。けんちぇんの『けん』は巻くと言う漢字。『ちぇん』は野菜を千に切るところから来る。けして、『ちん』ではないのだ。
そもそもは、精進料理だがな。細かくつきだしたる豆腐と千切り野菜をごま油でよおく炒め、これに醤油と酒で下味をつけたものを、湯葉で巻く。巻いた止め口を水溶きした葛粉を塗ってかたちを整え、さらに好みの味で煮含めたうえで、そこで椀にとる。それをぐらぐらと煮立ったすまし汁を注ぐというわけだ」
〔ドラマでのアレンジ〕
前半の鮫洲の市兵衛と粂八が出会うシーンと、最後に粂八が瀬田の万右衛門をお縄にするシーンはドラマオリジナル