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尻毛の長右衛門

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尻毛の長右衛門〔しりげのちょうえもん〕
初出掲載誌 『オール讀物』 昭和五十一年ニ月号
文春文庫 『鬼平犯科帳(十四)』
TV 第三シーズン60話『尻毛の長右衛門』(92年3月18日放送)
脚本:久喜千彩子
監督:小野田嘉幹


鬼平犯科帳(十四): 14

鬼平犯科帳(十四): 14

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2000/09/10
  • メディア: Kindle版



鬼平犯科帳 第3シリーズ《第13・14話収録》 [DVD]

鬼平犯科帳 第3シリーズ《第13・14話収録》 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 松竹ホームビデオ
  • メディア: DVD


〔本のおはなし〕
丈余におよぶ大きな辛夷(こぶし)の木が、白い花をひらいていた

春の夜の闇の中で抱き合っている布目の半太郎とおすみの躰は、気味わるいまでに汗ばんでい、束の間の烈しい愛撫が終って、男の躰が離れようとするのへ、おすみは呻き声をもらし、

「いやだ、もう・・・・・・こんなところで、こんなことをするのは、いや、いや・・・・・・」

嫌だといいながら、女の双腕(もろうで)には恐ろしいほどのちからがこもっている

ここは、押上の報恩寺裏の、木立の中であった

「仕方がねえじゃねえか。いまのところ、こうするよりほかに、お前と・・・・・・」

「勝手なことばかり、いっているのだから、半太郎さんは・・・・・・」

「だって、お前・・・・・・いまの、おれたちの役目を忘れてはいけねえ。お前は、橋本屋へ引き込みに入っているのだし、おれは連絡(つなぎ)をしているのだから・・・・・・」

「わかっています」

「もう直きだ。な、もう直きだよ、おすみ。今度のお盗めがすんだら、おれは、お頭に、お前とのことを申しあげるつもりだ」

髪を直しているおすみの耳朶へ口をあてて、半太郎は軽く噛みしめた

おすみが低く唸り、半眼の顔を仰向けて、いまにも倒れかかるばかりになるのを抱きしめ、

「おい、大丈夫か?」

「ひどい人・・・・・・」

仕方もなく立ちあがったおすみが、

「今度のつなぎは明後日だねえ?」

「そうだ、押し込みの日もせまっているから、いちいち念を入れろ、と、お頭がそういいなさる」

「そのときも、夜になったら、此処へ来るの?」

「嫌か?」

「半太郎さんの、ばか」

おすみが半太郎の手をぴしゃりと叩き、木立から出て行った

半太郎、ためいきを吐いた

この近くの、本所吉田町二丁目にある薬種問屋・橋本屋伊兵衛へ盗みに押し込む夜は十日後にせまってい、いまが、いちばん大事な期(とき)だというのに、

(布目の半太郎ともあろう者が、こんな、だらしのねえことをしていていいものか・・・・・・)

舌打ちをしながら、半太郎は木立を出た

生あたたかく曇った夜の道に、もう、おすみの姿は見えなかった

布目の半太郎は、一年前に、尻毛の長右衛門の配下となった。それまでは、ずっと〔ながれ盗め〕をしており、諸方の盗賊の間をわたり歩いていたのだ

ちょうど二十八になった半太郎は、盗賊として充分のはたらきができる男で、つなぎをつとめるにはもったいないほどなのだが、そこは新参ゆえ、

「ま、今度はひとつ、我慢をしてくれ」

と、尻毛の長右衛門が、わざわざ念を入れたほどだ

(おすみの、あの躰は生得のものだ。躰の中に泥鰌が百匹も棲んでいやがる・・・・・・)

横川辺りの道を、提灯もなしに南へ歩みつつ、布目の半太郎の色白の細面に、こらえようとしてもこらえきれぬ薄笑いがうかんだ

いつの間にか、雨が落ちて来たが、それさえも半太郎は気にならぬ

汗は引いても、火照りは引かぬ顔や頭を濡らす春の雨が、こころよかった


尻毛の長右衛門は、駿河・三河・遠江の東海地方で盗めをすることが多い

尻毛一味の、江戸における本拠は、深川清住町の霊雲寺門前に近い万年橋の南詰にある

その一角にある〔利根屋八蔵〕という釣道具屋が、それであった

おすみを抱いた翌日

布目の半太郎は利根屋へ行き、前日の連絡の報告を長右衛門にした

「そうかい、そうかい。そんなぐあいならば、先ず大丈夫だ」

と、尻毛の長右衛門は、半太郎の報告を聞いて上機嫌になり、すぐに、酒肴を二階へ運ばせた

「まあ、ひとつ、おやり」

と、長右衛門が半太郎の盃へ酌をしてくれた

盃を重ねるうち、尻毛の長右衛門が、ふと、あらたまったように、

「こんなことは、古い手下の者にはいえねえので、新参、といってはすまねえが、お前の意見を聞きたいことがあるのだよ」

「へえ・・・・・・?」

「実は、なあ・・・・・・」

「へえ・・・・・・?」

「その、なあ・・・・・・」

と、尻毛の長右衛門が変に煮え切らないのだ

長い鼻の下を小指で撫でたり、さすったりしながら、上眼づかいに、半太郎の顔を見て、照れくさそうにしている

ついに、おもいきったかのように長右衛門が、

「わしは、もう五十二になってしまったが、三十余も年下の女を、女房にしては可笑しいかね?」

と、いったものである

半太郎は言下に、

「ちっとも可笑しいことはございませんよ」

と、こたえた

「そ、そうかい。ほんとうに、そうおもってくれるかい」

「へえ」

「今度のお盗めがすんだら、わしは、その女と夫婦になるつもりだよ」

「さようで・・・・・・」

と、布目の半太郎は長右衛門の盃へ酌をした。そのとき、半太郎も、

(よし、いまだ。いまがいい。いまなら、お頭も、きっと、おれとおすみのことをゆるしておくんなさるだろう)

とっさに決心して、酌をした銚子を置き、

「実は、私も・・・・・・」

いいかけようと口を開けるより早く、尻毛の長右衛門が、こういった

「なあ、布目の。その女というなあ、実は、引き込みのおすみなのだよ」

糸瓜顔を真赤にして、うつむいたまま語る尻毛の長右衛門の前で、半太郎は躰中の血がたちまちに冷えてゆくのを感じていた

そのとき、藤坂の重兵衛という中年の盗賊が顔を出さなかったら、半太郎は、どうやって、その場の自分をあつかったらよいのか途方に暮れたろう

「それでは、私は、これで・・・・・・」

うつむいたまま半太郎は、重兵衛に席をゆずり、階下へ降りて行った

その背中へ

「布目の。ありがとうよ」

何も知らぬ長右衛門の明るい声が追いかけてきた


そのころ

女密偵のおまさが、火盗改方役宅の門を入って行った

前夜、平蔵からたのまれた橋本屋の養明丹を届けに来たのである

「実は・・・・・・」

おまさがいうには、先刻、橋本屋の前まで来ると、台所へ通じる通路から下女がひとりあらわれ、どこかへ出て行った

「以前、その下女にそっくりな女を、私は知っておりました」

「ふうむ・・・・・・?」

「その女はお新という名前で、亭主の市之助は、私の死んだお父つぁんの友だちでございました」

「そやつも盗賊か?」

「はい、市之助は、もう亡くなっているはずでございます。女房のお新は、たしか・・・・・・たしか、尻毛の長右衛門のところで引き込みをしているはずなので・・・・・・」
「何、尻毛の長右衛門だと・・・・・・」


〔主な登場人物〕
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長谷川平蔵(中村吉右衛門)

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布目の半太郎(堤大二郎)

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おすみ(水野真紀)

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尻毛の長右衛門(小林昭二)

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おまさ(梶芽衣子)

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相模の彦十(江戸家猫八)

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小房の粂八(蟹江敬三)

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久栄(多岐川裕美)

塚原の元右衛門(穂高稔)
藤坂の重兵衛(伊吹聰太朗)
為七(奥久俊樹)


〔盗賊〕
・布目の伊助:半太郎の父親で、いまは亡き大盗・蓑火の喜之助の配下

・〔鷹田の平十〕:盗賊あがりの老口合人。半太郎を長右衛門に口ききした

・駒屋万吉:亡き蓑火の喜之助配下の盗賊。半太郎の父親とも仲がよく、蓑火のお頭が引退の折、一味の者たちへたっぷりと分けあたえた金で、故郷の上州へ帰り、妙義山で旅籠をはじめた


〔商家〕
・岩附屋新三郎方:神田鍋町の茶問屋。長右衛門一味が、一人の殺傷もせず、千八百七十余両を盗んで消えた。このときは、長谷川平蔵が懸命の探索にもかかわらず、尻毛一味は、まんまと江戸を抜け出してしまっている


〔料理帳・本〕
「五郎蔵、腹が空いているのではないか」
「いいえ、別に・・・・・・それよりも長谷川様。奥様のおかげんは、いかがなんでございます?」
「ありがとうよ。橋本屋の養明丹が効いたようだ。先刻、粥を二膳も食べてな」


〔料理帳・ドラマ〕
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軍鶏の臓物鍋、彦十、おまさ、粂八、五鉄にて


〔ドラマでのアレンジ〕
ドラマではおまさに諭されたおすみが改心し、平蔵の計らいで、そのまま商家で働くことになる。
原作では口合人は鷹田の平十であるが、ドラマでは塚原の元右衛門となっている。

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平蔵「いや、しかし、それにしても、若い女というものはずいぶんと思い切ったことをするものよのう」
久栄「若いおなごには誰しも、何をしでかすか知れない烈しいものがあるのではござりませぬか?ただ、それを表に出すかどうかの違いでござりましょう」
平蔵「ほう、ふたりとも思い当たる節がありそうだな」










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